乳癌発覚から治療までの流れの詳細①~②

治療までの流れ

こんにちは、oba活です。本日は、数あるblogの中から、oba活のblogを訪問して下さり、有り難うございます。私のブログを偶然、今回の投稿から初めて訪問して下さった方に簡単に自己紹介をさせて頂きます。もう知っているよ!とおっしゃる方は、下の詳細説明から、宜しくお願い致します。

このブログは、私が乳癌(レベルⅣ)と宣告され、“今のところ、体の中に癌細胞は見当たりません”と、診断されるまでの、私の実体験を書いたものです。今回のブログをお読み頂き、興味をお持ち頂ければ、ぜひ、最初の投稿の方も覗いてみて下さい。

では、今回のブログでは、前回のブログの続きから、乳癌(レベルⅣ)発覚から治療までの流れの①お仕事中に脇の下の鈍痛が続く☞②最寄りの待ち時間のかからない小さな病院へ行くまでの詳細を書いていきたいと思います。

私は当時、中学校2校兼務の図書館司書として働かせて頂いておりました。4月から働き始めたばかりですが、夏休みに入る前くらいから、何となく右脇の鈍痛を感じておりました。病院へ行く程でもなさそうだけど、何となく痛いな・・・。

この時点ではそんなにたいした痛みではなかったので様子を見ることにしました。ところが、夏休みに入りますと、脇の下の鈍痛は、常時とまではいかずとも、気が付けば痛む、というほどになっておりました。

そこでもまだ、図書室のお仕事は、案外重たい書物を高い書架へ移したりも致しますので、長い筋肉痛なのかなあ?この辺りの筋肉を使い過ぎなのかなあ?くらいに思っておりました。

9月に入り、お風呂で脇下を触ってみると、しこりと申しますか、そこまで硬くもなく、決して柔らかくもない大きな塊がありました。もう鈍痛とはいえ痛みの限界だと感じ、②の小さな、待ち時間のかからない病院へ取り敢えず行ってみようと決意しました

先生は優しそうなおじいちゃん先生でした。図書室で働き始めて重いものを上げ下げしますし、腱鞘炎の様なものですかね?と、私はおじいちゃん先生に尋ねました。続けて、私の母は乳癌で50代で他界しているのでもしや・・・と不安にもなりまして、と申しますと、おじいちゃん先生は大笑いして、癌でこんなに痛みがあるなら昔で言うもう末期だよ、と言いながら触診してくれました

その時のおじいちゃん先生の表情を私は見逃しませんでした!笑っていたおじいちゃん先生の表情がみるみる真顔になっていき、ちょっとエコーで診てみよう。と、脇に冷たいジェル状のものを塗り、エコーで調べてくれました。

おじいちゃん先生は真剣な表情で、これは・・・!!と言った後に、暫く沈黙し、白黒つけた方が良いから早いうちに大きな病院で診て貰った方が良い、と、すぐに大きな病院の紹介状を書いてくれました。

私にとって当時何が恐怖であったかと申しますと、その小さな病院のおじいちゃん先生がわざわざ玄関口まで私を見送りに出て来てくれて、“深々と一礼されたこと”でした。この時点で、のみのような私の心臓は破裂寸前、頭はパニックに陥っておりました

きっとおじいちゃん先生には私の癌が大変急を要するもの、と、わかっていたのでしょう。その様な中、はっきり癌と証明できる様な備え付けのない病院でははっきり言えず、私に不安を煽るようなことをしてはいけないと判断されたのでしょう。

今でもその時の光景が脳裏に焼き付いていて、おじいちゃん先生と言うお立場で、忙しい中、玄関口までわざわざお見送りに出てくれたのは、“神対応”であると、今でも有り難く、深く感謝しております。今回の投稿はここまでとなります。次回の投稿は乳癌発覚から治療までの流れの詳細の③紹介状を持って大きな病院へ行き、後日福乳癌と診断される。を、投稿したいと思います。本日も、私の投稿をご覧下さり、有り難うございました。

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