⑩現在住まいしている地方の病院へ移る

治療までの流れ

こんにちは、oba活です。本日は、数あるblogの中から、oba活のblogを訪問して下さり、有り難うございます。私のブログを偶然、今回の投稿から初めて訪問して下さった方に、簡単に自己紹介をさせて頂きます。もう知っているよ!とおっしゃる方は、下の詳細説明から、宜しくお願い致します。

このブログは、私が乳癌(レベルⅣ)と宣告され、“今のところ、体の中に癌細胞は見当たりません”と、診断されるまでの、私の実体験を書いたものです。今回のブログをお読み頂き、興味をお持ち頂ければ、ぜひ、最初の投稿の方も覗いてみて下さい。

今回のブログでは、“乳癌発覚から治療までの流れ”の⑩現在住まいしている地方の病院へ移る、を書いていこうと思います。当初予定していた癌治療を全て受け終わり、今の所、身体の中に癌細胞は見当たりません。と、言うことで、福岡の病院の先生の方から、“今後は経過を診るのは地元の病院の方が通院しやすいのでは?”と提案されました。

わたくしも、一旦、“峠は越えたのかな?”と感じましたので、紹介状を書いてもらい、自宅からすぐ通える病院へ移ることにしました。いざ、病院を移りますと、念のためということで、また、1から、沢山の検査が行われました。

人の身体は、年間、治療とは言え、浴びれる放射線量が決まっている様で、わたくしは、最終治療が放射線治療だった、と、言うこともあり、既に浴びれる放射線量が少なく、地方の病院へ移った際には、ペット検査は受けることができませんでした。

また、受けることができる時期になってから、ペット検査はしましょう。と言うことで、それ以降はわたくしの3ヶ月置きの定期検診が始まるのですが、新しく移った病院の先生は、わたくしのオペの内容で、“全摘にしなかった”ということが、気に入らないようでした。

先生は、“わたしなら絶対に全摘にしていた”と、言われましたが、福岡の病院の先生は、“温存でも、全摘でも、どちらでも良いよ”と、言うことでしたので、全部切らなくても良いのなら、と言う、そんなに後々困る材料にされるとは思ってもおらず、わたくしは、“温存”を選択しました。

3年を過ぎた今でも、現在のわたくしの主治医は、“何で温存にしたかね~”と、3ヶ月検診のたびに言いますが、ドクターによって、全摘にするべきだ、と、思われる先生と、どっちでも良いよ~、と言う先生と、同じ人間に対して、全く違う回答があることを知りました。

わたくしの癌のタイプは、誰もが知っているであろう、あの有名なハリウッドスターと同じ型の、トリプルネガティブです。日本人の女性には多くはない型だそうですが、あまり質の良いタイプではないようで、それがあるからこそ、今のわたくしの主治医は、慎重にいきたかったのかもしれません。

いまだに、3ヶ月に1度のスパンで診て貰えることに、大変安心しておりますし、感謝しています。

また、他にも感謝する材料は沢山あるのですが、中でも、あのタイミングで一通りの治療が終わって、自宅の近くの病院へ帰って来れたお陰で、コロナウイルスの感染拡大にかぶることがなかったことにも感謝したいと思っております。

あのままわたくしが他県の福岡の病院での治療を続けておりましたら、福県の病院へ通えなくなっていたか、もしくは、福岡から自宅へ戻れないと言う状況になっていたかと思います。偶然にもそこは免れたということだけでも、本当に有難かったと感じています。

どうにかこうにか、崖っぷちを生き延びつつ、次の課題も着実にやって来るのですが・・・。次の課題は、先生から、“遺伝子検査をしてみませんか?”と、提案されたことでした。再発もしておらず、体力も回復しつつある今だからこそ、良いのでは?と、先生の中では感じたようで、次なる課題を提案されることとなりました。

次回の投稿は乳癌発覚から治療までの流れの詳細の、⑪遺伝子検査をしてみる。を、投稿したいと思います。本日も、私の投稿をご覧下さり、有り難うございました。

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