⑨放射線治療開始

治療までの流れ

こんにちは、oba活です。本日は、数あるblogの中から、oba活のblogを訪問して下さり、有り難うございます。私のブログを偶然、今回の投稿から初めて訪問して下さった方に簡単に自己紹介をさせて頂きます。もう知っているよ!とおっしゃる方は、下の詳細説明から、宜しくお願い致します。

このブログは、私が乳癌(レベルⅣ)と宣告され、“今のところ、体の中に癌細胞は見当たりません”と、診断されるまでの、私の実体験を書いたものです。今回のブログをお読み頂き、興味をお持ち頂ければ、ぜひ、最初の投稿の方も覗いてみて下さい。

今回のブログでは、“乳癌発覚から治療までの流れ”の⑨放射線治療開始、を書いていこうと思います。抗がん剤治療により、癌細胞も小さくなり、オペも成功し、つらいリハビリも終えた後に、いよいよ放射線治療に入りました。

先生の方からは、“放射線治療は毎日、になるから、他県から毎日通うのは大変だろうから、このまま入院して治療しても良いし、早く家族の元に帰りたかったら、退院して通院しても良いし、どちらでも良いよ”と、言われました。

夫に相談した結果、病院に入院し続ける生活も気分が滅入るだろうし、かと言って、他県から毎日1人で、高速を運転して放射線治療に、と、言うのも心配だから、放射線治療が終わるまで、病院の真ん前のマンスリーマンションを借りては?と、言うことになりました。

わたくしは、抗がん剤治療の際にも、2回目以降は、通院しなくてはならないので、病院の近くのホテルに2日程予約して、抗がん剤を打った当日、翌日はホテルでゆっくり過ごして自宅へ帰宅する。と言うルーティンにしておりました。

これが、癌治療をしているわたくしには、大変メンタルの面で効果があったように思います。家族なんだから、1番辛い姿を見せても良いのでは?、そこを支え合うのが、家族では?と言ういう考え方もあるかと思います。

ですが、わたくしは、元々、いくら家族と言えども、色々気にしてしまったり、余計な気を遣い過ぎてしまったりするところがあるので、こんなに苦しんでる姿を見せて申し訳ないな、心配を掛けてしまうな、と、逆に大変疲れてしまうのです。

そんなわたくしの変わった性格ゆえに、このルーティンは、わたくしにとっての、最高の“治癒の時間”となりました。1人になるのが寂しい、誰かがいないと不安、と言う方には向いていないかもしれません。特に、私の亡き母には、かえって、これは試練となるのかしら、と思うので、これはやはり、その方、その方のご性格によるのだと思います。

わたくしは、この1人の期間に、存分にのたうち回ることができ、嘔吐することができ、人目を気にせずだらだら生活をさせて頂きました。その様なメンタルの開放があったからこその、良い流れで、ここまで順調に来れたのでは、と、言う考えの元、今回は少し長い期間となりますので、マンスリーマンションにしました。

この、メンタル的な部分につきましては、科学的根拠はないのですが、わたくし一個人の経験の中でも、とても重要だと感じている部分になりますので、今回投稿している、治療の流れとは別でまた、“メンタル的なこと”と言うようなタイトルで、詳しく投稿したいと思っております。

放射線治療は、わたくしの場合は、オペを行った右胸、右脇のリンパ節、癌細胞が散らばっていた首、鎖骨に、照射しました。1日1回の照射で、だいたい着替えてから、15分くらいで終わるのですが、1回目より2回目、2回目より3回目と、最初は何とも感じなかった照射した部分の皮膚が、だんだんとひりひりしてきました。これはもう、照射しているのですから、仕方のない痛みですね。

わたくしは、放射線治療の予約を必ず朝一で入れておりました。そうすると、毎日顔を合わせる、放射線治療での、お知り合いができました。彼女は、お仕事をしているので、朝一で放射線治療の予約を入れているということで、毎日出会うので、いつか、一緒にお茶しましょうね!と、誘われるまでになりました。癌治療と戦っているとき、励まし合えるお友達ができることも、わたくしの活力につながりました。

喘息もわずらっているということで、彼女は、けほけほ、と咳をしながら、“放射線治療で頑張って、仕事に行くのって辛いよね!!”と、わたしに言うのですが、わたくしは確かに朝一できちんとしたお洋服で病院へ通っておりましたが、当時、お仕事はしておりませんでした。

ですが、お仕事をしながら頑張っている彼女に対して、わたくしは今は、専業主婦なので、などと、呑気なことを言ってはいけない、と、なぜかとっさに思い、“だね”と、短い言葉で終わりにしました。

嘘をつかないように、肯定もせず、否定もせず、相手を気遣ってのあいまいな返事が正解かどうかはわかりませんが、ただでさえ、体力的にも疲弊しているのですから、せめてメンタルは共感してお互い頑張りたい!!と、思いました。

その方との出会いのお陰で、ほんとうに、こうして呑気に治療をさせて頂くには、たくさんの協力があって成り立っている、夫にも、子供にも、義理の両親にも、実の父にも、親友2人にも、その他応援してくれている沢山の方々に、心から感謝しかないなと思わされました。

1ヶ月程で無事放射線治療も終わり、その後、たくさんの検査を経て、とうとう、“今のところ、癌細胞は見当たりません”と言う、診断を頂くことができました!!あんなにあった癌細胞がなくなるなんてことが、本当にあるんだな!!と、嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでしたし、この先生について来て良かった!!!と、心から感謝しました。

先生は、“これからは経過観察となるから、3か月に1度から、経過が良ければ半年に1度経過を診て行く形になるけど、やはり、他県だからね、地元の病院に紹介状を書こうか?”と、言ってくれました。

いいや、先生が良いのです!と、命を救ってくれた先生にすがる気持ちを一旦、横に置き、先生が提案してくれたことに、素直に従い、地元の病院で経過観察して貰うことにしました。

そうこうしているうちに、コロナウィルスの感染拡大などの影響で、他県への移動が難しくなってきまして、本当に、あのタイミングで、地元の病院へ帰って来て良かったな、と、心から思うのでした。今回の投稿は、以上となります。

次回の投稿は乳癌発覚から治療までの流れの詳細の、⑩現在住まいしている地方の病院へ移る。を、投稿したいと思います。本日も、私の投稿をご覧下さり、有り難うございました。

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