⑧5センチ程あった脇の癌をオペにより切除

治療までの流れ

こんにちは、oba活です。本日は、数あるblogの中から、oba活のblogを訪問して下さり、有り難うございます。私のブログを偶然、今回の投稿から初めて訪問して下さった方に簡単に自己紹介をさせて頂きます。もう知っているよ!とおっしゃる方は、下の詳細説明から、宜しくお願い致します。

このブログは、私が乳癌(レベルⅣ)と宣告され、“今のところ、体の中に癌細胞は見当たりません”と、診断されるまでの、私の実体験を書いたものです。今回のブログをお読み頂き、興味をお持ち頂ければ、ぜひ、最初の投稿の方も覗いてみて下さい。

今回のブログでは、“乳癌発覚から治療までの流れ”の⑧5センチ程あった脇の癌をオペにより切除、を書いていこうと思います。奇跡的に、オペ前の抗がん剤治療の効果により、わたくしの右脇にあった5センチ程の癌細胞は、2.5センチ程の大きさまで小さくなりました。

いよいよ、2019年、4月に、右乳房、温存での癌細胞切除、右脇のリンパ節6個を切除致しました!!生れて初めて、オペを受けました感想は、担当医を信頼しておりましたし、抗がん剤治療の効果があったお陰か、はたまた、わが夫の“これでいいのだ”と言う、言葉の力なのか、不安は1つもなく、オペを受けることができました。

自然療法を勧めてくれた友人も、オペの前後に、浄化されるというお水やタオル、アロマオイルなどを持って来てくれましたので、医学の力と自然の力の両方をお借りして、どうにかこうにか、元気になることができたと、感じております。

もちろん!!医学の力は絶大!ではあるのですが、やはり、自然の力、目に見えない力、科学的にまだ証明されていない何かの力、というものも、大きく作用しているように、命のかかった体験の中で、身をもって感じました。

また、それは、わたしの実母を通しても感じたことで、実母は、わたくしと同じく乳癌となり、1度目は良くなり、経過観察の時期に再発し、亡くなりました。母もあれやこれやと信じてやっておりましたが、最後の方で、全てをやめました。わたくしの目には全ての“信じること”を、やめたようにうつりました。

“お母さんはもう諦めたから、あなたに託すから、あなたがこの癌の体質の遺伝を乗り越えてね”と、母が申しましてから、本当にすぐに亡くなってしまいました。癌の遺伝・・・。そうだな、癌は遺伝するって聞くから、この癌は遺伝なのかもしれないな・・・。と、当時、母は、まだ遺伝子検査を受けたわけでもないのに、わたくしにこの遺伝を託す、と、申しておりました。

本当は声を大にして母に、“そんなこと言わないでよ、お母さん。頑張ってよ”と、言いたかったのですが、もう1つ母に言われた言葉が、“あなただけは、お母さんに、頑張ってって言わないでね”でした。

当時は、まだ、新型コロナウィルスなど流行ってはおりませんでしたので、毎日のように母のもとへお見舞いの方が訪れておりました。皆さんが、悪気なく、母に“頑張ってね”と、声を掛けるのですが、その言葉が、癌と日々戦っている母には大変つらく、重くのしかかり、“これ以上どう頑張れっていうの!”と言う気持ちになっていったようです。

娘として、言いたい気持ちをしまい込んで、“うん、うん、わかったよ。言わないよ。もう頑張ったもんね。お母さんは、よく頑張ったよ”と、笑顔で言うのが関の山でした。今思えば、最後の最後まで、母の気持ちを察して自分の気持ちを言わずにいてしまう、以前からなおしたくても、なおらない、わたくしの悪い癖は、なおりませんでした。

わたくしは当時1児の母であり、妊婦でもありましたが、毎日の様に他県から高速道路を使って、母の病院へお見舞いに通っておりました。と、言うのも、姉が当時ご主人のお仕事でシカゴで生活をしておりましたので、父とわたくしが、母を支えて行こうと、協力しておりました。

結局、母は他界してしまうのですが、母を1番近くで見ていたわたくしは、たくさんの学びを得ることができました。やはり、どんな時も“感謝の気持ち”や“諦めない前向きな気持ち”を忘れてはいけないと感じましたし、後にわたくし自身が遺伝子検査をするきっかけを作ってくれたのも、この時の母の“あなたにこの遺伝を託すわ”と言う言葉でした。

この段階からわたくしは、抗がん剤治療から、オペまで順調に進み、この後は放射線治療となりますが、ここまで1度も、抗がん剤治療(白血球の数値が低すぎたりすると抗がん剤治療も延期になってしまったりするのです。)が、延期されたりストップすると言うこともなく進むことができました。

これが、“当たり前”ではないのだな、と、常々感じておりましたし、母を見ていたこともあり、小さな“感謝”を大きく膨らませて、頭の中をプラス思考へ、変換するように気をつけて行こう!!と、努力と言えばそこだけであったように感じております。

今回のオペの時にも、わたくしをサポートしてくれる親友2人が、オペの入院前に、1人は、地元福岡から、もう1人は東京から駆けつけてくれました。1人は、完全な“自然治癒派”の友人、もう1人は完全な“医学の力派”の友人でした。わたくしは、欲張りなので、どちらの意見も、両方取り入れました。

やはり、大きな病気にかかった時に大切なのは何を信じてどの治療法にお金を使うか、と、言うことも大切です。お金がたくさん有り余っていて、全ての治療法、全部取り入れますわ!!なんて、言ってみたいですが、限りある大切なお金はやはり、自分でよくよく、調べて、確かめて、投資しなければなりません。

最先端の医療はとても高額で、やはり何度も続けるとなると、大変です。そういったことを、先の先まで見越して選ぶ治療法となると、やはり、自分が納得して、信頼して、最後まで進めるものを最初に選ぶことがスムーズだと感じました。今回の投稿は以上となります。

次回の投稿は乳癌発覚から治療までの流れの詳細の⑨放射線治療。を、投稿したいと思います。本日も、私の投稿をご覧下さり、有り難うございました。

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