⑥乳癌治療開始

治療までの流れ

こんにちは、本日は、数あるblogの中から、oba活のblogを訪問して下さり、ありがとうございます。私のブログを偶然、今回の投稿から初めて訪問して下さった方に簡単に自己紹介をさせて頂きます。もう知っているよ!とおっしゃる方は、下の詳細説明から、宜しくお願い致します。

このブログは、私が乳癌(レベルⅣ)と宣告され、“今のところ、体の中に癌細胞は見当たりません”と、診断されるまでの、私の実体験を書いたものです。今回のブログをお読み頂き、興味をお持ち頂ければ、ぜひ、最初の投稿の方も覗いてみて下さい。

では、今回のブログでは、“乳癌発覚から治療までの流れ”の、⑥乳癌治療開始の詳しいお話しをしたいと思います。乳癌と診断後の、一通りの検査結果が出たところで、わたくしの乳癌治療の開始となるのですが、初めは、オペ(右乳癌の部位と右脇のリンパ節切除) ☞ 抗がん剤 ☞ 放射線、と言う順番でした。

ですが、突如、担当医の方針が変わり、やっぱり、抗がん剤でたたいて、なるべく脇の下の癌細胞を小さくしてからのオペにしよう!と、言うことになり、急遽、抗がん剤治療 ☞ オペ ☞ 放射線治療、と言う順番に変更になりました。

結果オーライ!!この先生の判断が、結果、正しかった(*^^)v、ので、わたしはこの世に存在しているのですが、当時は、一旦、方針が決まったことを変更する、と言うことが苦手なわたくしは、治療の順番が寸前で変わっただけで、大変動揺しました。

どうして急に順番が変わったのかしら?わたしの場合、何か欠陥があって、スムーズに事がいかないのかしら? などなど、さすがネガティブなだけあって、それはそれは、マイナスな妄想ばかりが頭の中をぐるぐる駆け巡りました

ですが、さらにここで、この体験記を書くぞ!!と思ったきっかけ、大切なキーワードとなる“言葉”がふっと浮かんでくるのです!!わが夫の、“これでいいのだ”と言う、あの呑気な言葉です。わたくしの思考にないこと。何の根拠があって?!何か証明できるものはあるの?!そういったわたしの概念はひとまず、置いておいて、結局、先生の判断した手順で、“これでいいのだ”と、気楽な気持ちでお任せすることとなりました。

先生は、とてもお優しい先生で、決して強引に治療の方針を決めたりせず、必ずわたくしに、最終的に決定権を持たせてくれました。わたくしは心の中で、今後、先生が、どのような方針にしようとも、自分の今、知り得た知識の中での疑問はきちんと相談しつつ、納得した上で、この先生の方針を信じて行こう!!と、心に誓いました。

やはり、関係ないようで、“この先生を信じて大丈夫かなあ?”と、不安を感じながら治療していくのと、“安心して治療していく”のとでは、結果は大きく違ってくるのだ!!と、わたしは自分自身の体験を通して感じています。

治療が始まる前に、夫が言ってくれたことは、家の事は、僕と僕の両親が何とかするから、あなたが第一に考えることは、“自分の命”、“自分のこと”、それだけ。とにかく生きる事!!、でした。

最初の治療が抗がん剤治療となった為、1番最初のお薬投与の際には入院をするので、家のことが心配ではありましたが、夫に言われた通り、まずは、“わたし自身が元気になること”、だけに、全集中して、家のことは暫く休憩させてもらうことに致しました。

皆さんはどうでしょうか?家を空けるときや、ちょっとお友達とランチに行く際など、家族に、何となく後ろめたさを感じたりしませんか?夫は、良いよ、たまには気晴らしに行ってきなよ!と言うタイプなのですが、これは、もうわたしの性格ですね。わたしの場合、自分にご褒美、と、言うのは“申し訳ない”、と、思ってしまう性格なので、治療とは言え、家を空ける、と言うのを“申し訳ない”と思っておりました。

ですが、逆にそのお陰で、必ずや生きて家に帰るぞ!!と、言う、気合いにも繋がって、他県の信頼できる病院での治療開始は、わたくしにとっては、治療に全集中する為にも、大変良いチョイスだった、と、感じております。それぞれのご家庭の条件の中で、“できる”事、“できない”事が、必ずあると思います。

妻として夫のことも、母として子供のことも当然気にかかるのですが、できる範囲の中で、家族のことを一旦休憩して、治療に専念できる環境に身を置く(他県にいるからすぐには関われない。)と、言うのは、心配性のわたくしにとっては、大変大きなプラスの要因であったのだ、と、体験致しました。今回の投稿は以上となります。

次回の投稿は乳癌発覚から治療までの流れの詳細の⑦抗がん剤治療開始。を、投稿したいと思います。本日も、私の投稿をご覧下さり、有り難うございました。

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